エピローグ:百の頂きに百の喜びがある 〜夫婦で歩んだ9年間の軌跡とこれからの「味わい登山」〜

定年退職後、「企業人間」をピタリとやめ、漠然と日々を過ごしていた頃。横浜からの「バスハイク」で訪れた早春の鍋割山(丹沢山塊)で、残雪の霧の中に浮かび上がるブナの新緑と鹿の群れに遭遇し、その幻想的な景色に大きな感動を覚えたことがすべての始まりでした。

テレビで放映されていた「深田久弥の日本百名山」を見て「これだ!!」と閃き、数えてみれば既に夫婦で9座に登頂済み。残り91座への挑戦を妻に相談したところ、一も二も無く賛成してくれたことで、「夫婦で日本百名山の登頂」という最高のスタートを切ることになりました。

夫婦三脚で乗り越えた10年計画

挑戦にあたり、夫婦で3つの基本的な事柄を決めました。

  1. 予算は退職金などから別勘定として管理し、噂される費用の半分に納めること。
  2. 10年間位を目処として決して無理をしないこと。
  3. 体力・気力を考えて、九州や北海道など遠方から始めること。

結果として、効率良い山行を考え、1回の遠征で複数座に登るなどの工夫により、費用は目標の「半分位」に対し29%プラスに収まりました。
しかし、何よりも大きかったのは妻の協力です。この挑戦の間に6人(うちシーズン中が4人)もの孫が誕生し、産前産後の娘たちへの世話などを併せながらやり繰りしてくれた妻には、ただ頭が下がる思いであり感謝しかありません。

ツアーからの自立と「百の喜び」

登山未経験だった私達は、前半(平成9〜12年の33座)は「連れていってもらう」ツアーへの参加が80%を占めました。しかし、そこで用具の取り揃えから、鎖場やガレ場の通過技術、高山病対策、そして日頃のトレーニングの重要性など、数多くの経験とノウハウを蓄積することができました。
その結果、後半(平成13〜17年の58座)には自力で計画・実行する「個人山行」が60%以上となり、達成感もより充実したものになっていきました。

90座を過ぎた頃から「どの山が一番良かったか」と聞かれることが多くなりました。しかし、展望や天候、バテ具合や同行者のエピソードなどを思い出しているうちに時間が過ぎてしまい、うまく答えられません。全山を登頂した今、深田久弥の「百の頂きに百の喜びがある」という言葉に尽きることに気が付き、心から得心しています。

100座目の剣岳、そして次なる目標へ

頂上を目の前にして退却をした山が3座(那須岳三本槍、月山、剣岳)ありました。強風雨の中でのリーダーの苦悩と決断は、大変良い勉強になりました。
その後、再挑戦を経て極めた頂。結果として100座目となった剣岳は、前回の「前剣で退却」を共にした仲間たちが、「最高の天候の時に登ろう」と次年に計画してくれたものでした。
平成17年7月21日午前9時40分、快晴無風の頂上に立ち、11名の仲間からの祝福を受けた至福の時は一生の宝物です。今、自宅の壁には「サインをいただいた横断幕」や「記念バッチを取り付けた百名山暖簾」、そして「記念写真」が飾られ、それを見るたびに大きな感激に浸っています。

振り返れば、私達の百名山は日程的余裕のない、いわゆる「ピークハンター」であったと反省することもあります。地方の郷土文化に触れる余裕がなく、悪天候により頂上からの展望が全く無い登頂も17座(うち6座は麓から頂上まで何も見えない登山)ありました。

今後の目標を立てるところ迄には至っていませんが、これからは「味わい登山」に切り替えて山行を継続したいと考えています。展望がなく不満だった山々へ再挑戦することも含め、これからの山の時間を夫婦でゆっくりと楽しんでいくつもりです。

平成17年8月5日
西牧 忠彦

令和七年 2025年8月23日 米寿のお祝いにて

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