【第1章】富士山:すべての原点となったそれぞれの山頂

私たち家族が「夫婦で日本百名山」の記録をたどる旅は、昭和の時代までさかのぼります。
初孫の誠が誕生する10年以上も前のこと。義父は昭和59年(1984年)にサッカー部の合宿で、義母は昭和62年(1987年)に会社の行事で、それぞれ別々に富士山頂に立っていました。
まだ夫婦で百名山を登り切るなどと想像もしていなかった頃ですが、のちに振り返れば、これが二人の栄えある「登頂1座目」として刻まれることになります。

72 富士山 (3776m) 静岡・山梨
典型的なコニーデ型火山。円錐形の秀麗な姿を見せる。7、8月の夏山シーズンは山小屋が開かれ、登山者でにぎわう。登山口は河口湖口(吉田口)、富士宮口、須走口、御殿場口の4つ。富士宮口から5時間。
登山適期:①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫

■ 山行データ(忠彦)

  • 日時: 1984 S59年 7月 29日
  • メンバー: 日立水 サッカー部 13名
  • コース: 山中クラブ 8:00 (車) 9:00 五合目 … 山頂 … 五合目 (車) 山中クラブ (日立の保養所)

■ 山行データ(菊江)

  • 日時: 1987 (S62) 8月 日
  • メンバー: 会社 (ブリヂストン化成品工業) 技術部 (11名)
  • コース: 横浜 (退勤後 夜行バス) 河口湖口 五合目 (夜間登山) 八合目 (ご来光) … 山頂上 … 五合目 (バス) 横浜

■ 山行日記(忠彦)快晴

  • サッカー部の夏季合宿を山中クラブをベースに実施していたが、これを機会に富士山登山を実施した。
  • 登山の何たるかも知らず、「にぎり飯」だけ持って出かけた。
  • 若い選手諸君は、その勢で登って行くが、小生と2〜3人は、ヘトヘトになって登った。手の指が黄色く見えるようになって、これが「高山病」かと思った。お鉢巡りは止めて早々に下山した。下りは快調に走り降りた。

■ 山行日記(菊江)晴 (頂上はガス)

  • 会社の富士登山会に参加した。退勤後、夜行バスで五合目から夜間登山を始めた。
  • 八合目で御来光を拝む。素晴らしい雲海を見た。
  • ここから頂上までは一歩一歩運んで頂上を極めた。頂上まで登頂したのは11名であった。
  • 工場長がご子息を伴って無事登頂していた。

登頂 1 座目
(※欄外メモ:百名山を完踏した後 改めて二人でゆっくり登るか!!)

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